孟 建(もう けん、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代にかけての政治家。字は公威。汝南郡の人。
生涯
建安年間(196年 - 220年)の初め、諸葛亮・石韜・徐庶らとともに荊州に遊学し、崔鈞とも交友して学びを深めた。そのため石韜、徐庶、孟建、崔鈞は「諸葛四友」と呼ばれる。後に孟建が郷里に帰ろうとすると、諸葛亮は「中国には士大夫があふれかえっている。遊び歩くなら故郷に限るまい!」と言ったが、孟建は彼の言葉を受け入れず北方に帰った。魏に仕えて栄達し、温恢の後任として涼州刺史となり、統治によって名声を得ている。諸葛亮は蜀の丞相となって祁山に進出したとき、司馬懿の使者杜襲に「公威(孟建)によろしく」と伝えてもらっている。孟建の官位は征東将軍にまで昇った。
諸葛亮の評
諸葛亮が荊州の隆中にいた頃、諸葛亮は学友の孟建、徐庶、石韜の才を見て「君たちは出仕すれば州刺史や郡守にはなれよう」と評した。
三国志演義
小説『三国志演義』では、孟公威として登場し、石広元(石韜)と酒を飲んでいたところ、三顧の礼で諸葛亮の庵を再び訪れようとしていた劉備と出会う。