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呂岱 定公

  • 人物番号: 3397
  • 姓 名 : りょ たい
  •  字  :  定公 ていこう
  • 出身地 : 広陵郡こうりょうぐん 海淩県かいりょうけん
  • 生没年 : 161 ~ 256
  • 性 別 : 男性

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呂 岱(りょ たい、161年 - 256年)は、中国三国時代の呉の武将。字は定公。子は呂凱(蜀の呂凱とは別人)。広陵郡海陵の人。 生涯 郡や県の役人をしていたが、戦乱を避けて江東に疎開し、孫権の時代にその幕府に仕え、呉県の丞となった。孫権は諸県の長や丞を呼び寄せ、地方の行政について質問をすることがあったが、そのときに呂岱の受け答えを見て、わが意を得た人材と思い、幕府に呼び戻して録事とした。 のちに再び地方に出て余姚県の長となると、精鋭を募り1千人の兵士を集め配下とした。会稽、東冶など5つの県の不服従民が呂合や秦狼を首領として反乱を起こしたとき、呂岱は孫権から督軍校尉に任命され、将軍の蒋欽と協力してこれを鎮圧した。この功績により昭信中郎将に任じられた。 211年、兵士2千人を率いて西に遠征し、漢中の張魯を漢興郡の寋城に誘い出そうとしたが、張魯は警戒し道を塞いだため失敗し、孫権の命令により帰還した(『呉書』)。この帰りの途上で、蜀侵攻途上の劉備と白帝辺りで出会っている記述が残っている(「呉範伝」)。

ウィキペディアより

呂岱の一族
    No Data

呂岱が登場する文献
  • 6-140,6-143~144,6-147,6-154,6-167,6-171,6-242,6-281~284,6-394,7-29,7-31,7-34~35,7-215,7-258,7-325,7-334,7-336,7-346,7-368,8-70,8-117~119,8-134.

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