軻比能(呉音:かびのう、漢音:かひどう、拼音:Kēbǐnéng 生年不詳 - 235年)は、中国後漢末期から三国時代の鮮卑族の大人(たいじん:部族長)。封号は附義王。 生涯 軻比能はもともと鮮卑の中でも勢力のない種族の出身であったが、勇敢で裁きが公平であり、財物を貪ることがなかったため、人々は彼を推して大人(たいじん:部族長)に戴いた。その住む部落が長城に近かったため、袁紹が河北を占有するようになると、中原の人が多く逃れ叛いて彼のもとに身を寄せてきた。そうした者たちが武器や鎧や楯の作り方を教え、文字も少しは学び知るようになった。こうして軻比能の部下の兵士を指揮するやり方は、漢の方式にならい、外出や狩猟のときには、旗を建て、太鼓を合図にして進退させた。 曹操の時代 建安12年(207年)、曹操が柳城に遠征して烏桓の蹋頓単于らを斬って幽州を平定すると、軻比能は歩度根らとともに護烏桓校尉の閻柔(えんじゅう)を通じて、朝廷に献げ物を奉った。
ウィキペディアより