扶羅韓(呉音:ぶらがん、漢音:ふらかん、拼音:Fúluóhán、生年不詳 - 218年)は、中国後漢末の鮮卑族の大人(たいじん:部族長)。檀石槐の孫。魁頭・歩度根の弟。泄帰泥の父。経歴鮮卑は歩度根が指導者になってから、その部族の勢いがやや衰えたので、彼の弟に当たる扶羅韓がまた別に数万の衆を擁して大人となった。しかし、扶羅韓の配下は彼に心服していなかったという。建安23年(218年)、扶羅韓は軻比能に会盟の席上で殺害され、扶羅韓の勢力は軻比能に吸収された。