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周循

  • 人物番号: 1553
  • 姓 名 : しゅう じゅん
  •  字  : 
  • 出身地 : 廬江郡ろこうぐん 舒県じょけん
  • 生没年 : ? ~ ?
  • 性 別 : 男性

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周 循(しゅう じゅん、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代の人物。周瑜の息子。廬江郡舒県の人。字は不明。周胤、孫登妻の兄。周峻の従兄弟。『三国志』呉志に記録がある。 生涯 後漢末期の群雄の1人である孫権に仕え、208年の赤壁の戦いで曹操を破った周瑜は210年に死去したが、2人の男子と1人の女子がいたという。周循は長男である。 主君である孫権の娘・孫魯班(母は歩夫人)を娶り、騎都尉を拝命した。周瑜の遺風を持っていたが早くに卒去したという。 周瑜一族のその後 周循の弟の周胤は興業校尉となり、彼もまた孫氏の女子を妻に迎えた。1000の兵士を率いて公安に駐屯したという。229年には、都郷侯に封じられたが、素行が不良であったため、罪を得て廬陵郡に配流された。239年、諸葛瑾と歩騭は連名で上奏し、周瑜のかつての功績に免じて周胤の罪を許すよう求めた。孫権は一度は難色を示したが、諸葛瑾と歩騭は再び周胤の復帰を要望し、朱然と全琮もこれに同調したため、周胤を赦免することを決めた。

ウィキペディアより

周循の一族

周循が登場する文献
  • 6-294,7-66.

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