袁 成(えん せい)は、名門袁家の出身だったが早死にした。『英雄記』によると、広い愛情をもって人々を受け入れ、はめをはずすことなく振舞っていたため、外戚や権力者たちは大将軍梁冀以下みな袁成と交際し、袁成の言ったことはすべて通り、そのため都では「かなわぬことがあれば文開をたずねよ」ということわざができた、とある。袁紹の父親説については、『魏書』によると、袁成は袁紹の叔父にあたる人物で、袁紹が生まれてすぐに死んだ。袁紹は袁逢の息子であったが亡き袁成の後を継いだといい、『英雄記』によると袁成は袁紹の父であるという。裴松之はどちらが本当かわからないと言っている。
ウィキペディアより