袁 譚(えん たん、? - 建安10年(205年))は、中国後漢時代末期の武将。字は顕思。豫州汝南郡汝陽県(現在の河南省周口市商水県)の人。父は袁紹。母は劉氏。弟は袁煕・袁尚(同母弟)。従兄弟は高幹。伯父は袁基(太僕)。一族は袁買。
青州刺史として
父の命で伯父の養子となり、後継者から外されて青州へ派遣された。袁譚は公孫瓚が青州刺史に任命していた田楷と、青州刺史だった孔融を攻撃、夏のある夜、城は陥落して孔融は東山に逃走し、袁譚は孔融の妻子を捕虜にした。かくて軍威は海岸にまで輝いた。このことで、袁譚は青州を平定し青州刺史に任じられた。袁譚は年長でもあり優しくて恵み深い人柄であった、袁尚は年少で美貌があった。袁紹の後妻劉氏は寵愛をえて袁尚を偏愛し、しばしば彼の才能を褒め称え、袁紹もその容姿を立派だと思って後継者にしようと考えた。そこで袁譚を兄袁基の後継者として青州に出向させた。沮授は袁紹に対して「袁譚どのを青州に赴任させることは、災いの始まりです」(後継者争いを触発しかねないことを指すものと思われる)と諌めたが、聞き入れられなかった。
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