王琰の子。王嘉は、県の県令・県長を歴任した。世故にたけた人物とされていた。王嘉が散騎郎に就いていたとき、郡政府は王嘉を中正に転任させた。王嘉は吉茂の人品を等級づけて、上級に位置するが容姿ははなはだ劣るとしたうえ、「徳はすぐれているが、能力は乏しい」と述べた。吉茂はむかっとしていった。「ひどいものだ。わしはおまえたち父子のように、官服で人をおどかすようなまねはしない。」