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華歆 子魚

  • 人物番号: 0332
  • 姓 名 :  きん
  •  字  :  子魚 しぎょ
  • 出身地 : 平原郡へいげんぐん 高唐県こうとうけん
  • 生没年 : 157 ~ 231
  • 性 別 : 男性

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『華キン』より 華 歆(か きん、永寿3年(157年) - 太和5年(231年))は、中国後漢末期から三国時代の魏にかけての政治家。字は子魚。青州平原郡高唐県(山東省禹城市)の人。当初孫策・孫権に仕え、後に魏の重臣となった。子は華表・華博・華周。弟は華緝。孫は華澹・華嶠。曾孫は華軼。また、駱統の生母を側室とした。『三国志』魏書に伝がある。 生涯 故郷が斉の地方でも名高い繁華街であったことから、官吏らが休日に皆そこで遊んでいたが、華歆は門を閉ざし家から出なかった。議論においても常に公平で、決して相手を傷つけるような言動は取らなかった。『魏略』によると、若い頃に邴原・管寧と遊学し、3人は親しくつきあっていたという。時の人は、3人合わせて「一龍」と呼んだ。華歆が龍の頭、邴原が腹、管寧が尾とされた。 同郡の陶丘洪は華歆と名声を競っていた。冀州刺史の王芬が霊帝廃位を企んだ時、華歆がその計画に乗ろうとした陶丘洪を厳しく諌めたため、陶丘洪は華歆を認めるようになった。 孝廉に推挙されて郎中となったが、病気のため辞職した。中平6年(189年)に霊帝が崩御すると、鄭泰・荀攸らと共に何進に召し出され尚書郎となった。

ウィキペディアより

華歆の一族

華歆が登場する文献
  • 1-97,1-108,1-133~134,1-174,1-177,1-222,1-237,1-290,1-342,2-259,2-347,2-353,2-360,2-432,2-455,2-470,3-196,3-203,3-487,5-120,5-224,6-51,6-76,6-273~275,7-194,7-196~199,7-244.

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